西日本一の戦国大名「毛利元就」と、広島県最大の山城「国史跡郡山城跡」。
元就がその生涯を過ごした安芸高田市には、毛利氏ゆかりの史跡が数多く残されており、戦国時代の足跡を辿ることができます。
毛利元就(1497-1571)は、戦国時代に中国地方のほぼ全域を制覇し、一代で大国を築き上げた「戦国の雄」と讃えられる戦国武将であり、後の戦国大名です。本城を県内最大の山城「郡山城」とし、75歳で病死するまで二百数十回におよぶ合戦をくぐりぬけ、毛利を西国随一の太守にしました。
国の史跡/日本百名城
郡山城
Kōriyama Castle
毛利元就が居城とした郡山城(こおりやまじょう)は、可愛川(えのかわ)と多治比川(たじひがわ)の合流点の北側に位置し、吉田盆地を見渡す場所に築かれた中国地方最大級の山城で、本丸を中心に放射状に広がる尾根を利用し、無数の郭(くるわ)が築かれました。
築城時期は不明ですが、15世紀中頃には、郡山の南東の独立した尾根上に毛利氏の本拠城として存在しており(本城)、元就の時代(16世紀中頃)に全山が城郭化(じょうかくか)されたと考えられています。
元就は、“嶝(かさ)”と呼ばれた山頂で暮らし、城内には主要な家臣が配置されていました。その後、孫の輝元の時代には修築や城下の整備が行われています。
天正19(1591)年に本拠を広島城に移したのちも郡山城は維持されていたと考えられますが、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦後、毛利氏の防長転封により廃城となりました。
歴史を散策する
元就が幼少期を過ごした地や、氏神が祀られている神社など、毛利元就の生涯を感じられる場所が安芸高田市にはたくさんあります。