郡山城は、戦国期最大級の東西1.1Km・南北0.9Kmの巨大な山城です。
築城時期は不明ですが、城内にあった満願寺や祇園社(今の清神社)などは、築城以前から建立されており、15世紀後半には毛利氏の城として存在していたようです。
当初は「本城」と呼ばれた東南の尾根上が城の中心で、元就が台頭した16世紀中頃に郡山全山を城郭化したと言われています。
その後、輝元時代に広島城へ本城が移り、さらに関ヶ原合戦後の国替えによって廃城となりました。
全体は、山上部(城)と山麓部(里)で構成されています。
山上部は、標高390m・比高190mにある本丸を中心として、放射状に270か所以上の郭(くるわ)が築かれています。本丸、二の丸、三の丸などがある中心部は、、“嶝(かさ)”と呼ばれ、元就や輝元が住んでいました。
ここには、石垣の跡や瓦の断片が確認されたことなどから、輝元時代の16世紀終盤に大幅な改修が施されたと考えられています。
勢溜(せだまり)の壇、厩(うまや)の壇、釜屋の壇、姫の丸など中心部を囲む各尾根には、家臣の居住区と思われる郭群が形成されています。
本城は戦国初期の形態を残しているといわれ、石垣や瓦は見つかっていません。さらに山麓部には城内外を区画する内堀が巡っていたことが判明しています。
歴史民俗博物館を出発し、毛利元就墓所を経由して本丸に登城。帰路は清神社を経由する、移動時間78分のコースです。
毛利元就墓所よりさらに本丸への道、展望台よりさらに本丸への道は、未舗装・急傾斜地を含む山道になります。
本丸まで登城される場合は、必ず山道を歩くための運動靴・服装などの装備で登城してください。軽装の場合、足を怪我したりする恐れがあります。
日没後は外灯等がありませんので視界が効かなくなります。そのため、登城される場合は復路の時間を考慮のうえ、日没前には下山できるよう登城ください。
本丸および櫓台
元就による拡張後の中心地。城主の館があったと思われ、北端の山頂部には櫓台が残る。
三の丸の石塁
中心部は輝元時代の改修により整備され、三の丸は石塁により3つに区切られている。
三の丸下通路の石垣跡
石が散乱しているが、三の丸に入る大手道にあたり、僅かに立石も残る。
釣井の壇の井戸跡
現在は枯れているが、城内に残る石組の井戸としては唯一のもの。
姫の丸
本丸の北の要所。幕末に長州藩士武田泰信がこの郭で百万一心石を発見したと伝わる。
御蔵屋敷跡
勢溜の壇と釣井の壇を繋ぐ郭。幕命により江戸初期に崩された石垣がそのまま残る。
満願寺跡の石組の池跡
築城以前から存在する寺院跡。2ヶ所ある石組みの方形の蓮池や寺の礎石などが残る。
尾崎丸の堀切
尾崎丸は隆元が本城から移り住んだと伝わる。長大な郭の背後を掘切っている。
本城の本丸
西端に櫓台があり、背後は谷を堀切っている。築城時の中心で、一時隆元が居住した。