毛利隆元逝去の地もうりたかもとせいきょのち

元就の長男・隆元が謎の最期を迎えた地

毛利元就の長男・隆元が火葬されたと伝わる場所です。尼子(あまご)氏討伐のため出雲に在陣している父・元就を援護するため、隆元は遠征先の防府を出発しました。移動の途中、毛利家家臣の和智誠春(わちまさはる)の館に招かれて、もてなしを受けました。宿舎の蓮華寺に帰った翌日の未明、急病を発し41歳の若さで逝去しました。

死因は食あたりとも、毒殺とも言われていますが真相は不明です。後年、誠春と隆元の身の回りを世話していた赤川元保(あかがわもとやす)は、元就の嫌疑によって誅伐(ちゅうばつ)されました。

後世に隆元の墓として伝わっていました。しかし、江戸時代後期に長州藩士が隆元の墓と伝わっていたこの地を訪れ調査した結果、墓ではないと結論づけています。

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史跡毛利元就高宮町
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県道433沿いにある「毛利隆元逝去の地」の看板が目印

こちらの道を進みます

民家のお庭を通ると、約20m先に石碑が建っています

このスポットの詳細

所在地安芸高田市高宮町佐々部 式敷地区
駐車場なし
アクセス(電車)

JR三江線式敷駅から徒歩約10分

アクセス(車)

中国自動車道高田ICから約15分

その他

県道433より「毛利隆元逝去の地」の看板を目印に曲がります。民家の庭を通り、約20m先に石碑が建っています。

アクセス

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ID:291 LM:2019/02/18 14:36:47 Rev:8