道路わきにひっそりとたたずむ神社。鳥居をくぐり這いつくばりたくなるほどの急な石段を上がると、毛利氏の氏神として崇敬されてきた社殿が現れます。
観応(かんのう)年間(1350年頃)に、毛利師親(もろちか)(後に元春)が相模国宮崎より勧請した八幡宮と伝わり、以後、毛利氏の氏神として崇敬されました。
毛利・尼子の郡山合戦時に尼子の陣地となり、天文10(141)年1月13日に激戦の地となりました。
永禄11(1568)年、元就によって再建され、その後も毛利氏により修理・再造されました。
現在、玉殿や絵馬、狛犬など毛利氏時代の文化財が数多く伝わっています。「当時の武将たちは余裕でこの階段を上がれたのか?」と想像してしまうほどの急な階段をぜひチャレンジしてみてください。