元亀元年(1571年)、元就は75歳で生涯を閉じました。3年後、孫の輝元(てるもと)によって菩提寺、洞春寺(とうしゅんじ)が建立され、境内に墓が建てられました。その後、代々の毛利氏によって修理・管理が行われ、浅野氏による石玉垣や石燈龍の寄進を受け今に至っています。
墓所は上下二段に分かれており、下段には明治期に作られた毛利氏歴代の墓所、上段に元就の墓所と百万一心碑があります。元就の墓所はさらに前域・後域に分かれており、前域には寄進を受けた燈龍が並び、後域に元就の遺灰が埋葬されている墓があります。
墓標として植えられたという「ハリイブキ」は、今は枯れています。文政十二(1829)年に漢学者の頼山陽(らいさんよう)が元就墓所を訪れた際につくった長編の詩「吉田駅詩(よしだえきし)」には、この時すでに枯れていることが記されています。
毛利元就の葬儀が執り行われた新暦の7月16日には、毎年墓前祭が行われています。
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