尼子晴久(はるひさ)の子、義久(よしひさ)、倫久(ともひさ)、秀久(ひでひさ)の三兄弟が幽閉された円明寺があった場所です。
長年にわたる毛利氏と尼子氏の攻防の結果、永禄9(1566)年に尼子氏は月山富田城(がっさんとだじょう)(島根県安来市)を開城し、毛利氏に降伏しました。義久(よしひさ)、倫久(ともひさ)、秀久(ひでひさ)の三兄弟は長田の円明寺に護送され、長田の領主であった内藤元泰によって、昼夜問わず厳重で丁寧な監護を受けました。
幽閉は23年間にも及びましたが、その後、三兄弟は志路(白木町)に移り住み毛利家臣となります。江戸時代には毛利氏に従い長門へ移り、佐々木に姓を変え存続しました。
そのため、この墓は三兄弟に追従してきた家臣の墓と考えられています。
場所は三篠川(みささがわ)を下に望む高台にあります。芸備線が田んぼ道を走るのどかな田園風景が広がります。