鈴尾城は、永徳元(1381)年に毛利元就の6代前、毛利元春の5男・広世(ひろよ)が福原の地に移り住み、福原姓と改めたたのち、福原氏の居城となった山城です。
可愛川(えのかわ)に面する丘陵上に築かれており、三方向を急な崖と背後を堀切で区切ることによって、要害としています。
山頂の本丸を中心に約20ヶ所の郭(くるわ)で構成されています。北側と東側に大きな平坦地があり、東側は館跡と呼ばれています。また、山頂付近で確認した陶磁器片類から、山上での生活も考えられます。
また、第8代・福原広俊の娘が毛利弘元に嫁ぎ、明応6(1497)年3月14日に実家であるここで元就を産んだとされていますが、実際にこの城で出産したのかは不明です。
山道もよく整備されており、軽いハイキングに最適です。城跡の東、約300mの山麓にある菩提寺楞厳寺(りょうごんじ)跡には、福原氏墓所(市史跡)があります。
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