甲立盆地西南端の可愛川に沿って長く伸びる丘陵上に築かれた、宍戸氏の大規模な山城です。
宍戸氏は建武元年(1334年)に関東から甲立に入ったとされ、勢力を伸ばす中でこの城を本拠としました。毛利氏と対立した時期もありましたが、宍戸隆家と毛利元就の娘との婚姻関係により、宍戸氏は毛利氏の傘下となりその一翼を担いました。それ以降、毛利家の一門としての地位を確立し、元就の次男・吉川元春と三男・小早川隆景とともに、毛利一族4本目の矢として元就の飛躍を支えてきました。
城跡は郭を直線状に多数配置し、各所に大規模な堀切や土塁を備え、部分的ですが石垣も残っています。巨大な堀切と竪堀が多数残っていることから、郡山城に比べて軍事的機能の高さが顕著です。戦国時代の山城でありながら、近世城郭のような軍事性と居住性を両立させている城跡です。