郡山城跡(こおりやまじょうあと)

郡山城跡 国指定史跡・日本100名城

[ 標高390m 比高190m 東西1.1km 南北0.9km ]

戦国武将毛利元就が居城とした郡山城は、可愛川えのかわ多治比川たじひがわの合流点の北側に位置し、吉田盆地を見渡す場所に築かれた中国地方最大級の山城です。本丸を中心に放射状に広がる尾根を利用し、無数の郭が築かれています。
築城時期は不明ですが、15世紀中頃には、郡山の南東の独立した尾根上に毛利氏の本拠城として存在しており(本城)、元就の時代(16世紀中頃)に全山が城郭化されたと考えられています。
元就はかさと呼ばれた山頂で暮らし、城内には主要な家臣が配置されていました。
その後、孫の輝元の時代には修築や城下の整備が行われています。
天正19(1591)年に本拠を広島城に移したのちも郡山城は維持されていたと考えられますが、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦後、毛利氏の防長転封により廃城となりました。

周辺地図

郡山城本丸周辺の見どころ

元就エピソード 百万一心

郡山城の改修に際して、元就が人柱に代わり「百万一心」と彫った石を埋めさせると工事が上手くいった、という伝説です。その後幕末に長州藩士が山中で実物を発見したと自書していますが、現在に至っても石は未発見のままで、郡山城最大の謎となっています。

元就エピソード 三矢の訓

「一本ではたやすく折れるが、三本束にすれば折れがたい」と、元就が一族の結束を説いた有名な逸話です。初見は江戸時代の書物で真偽は不明ですが、元就の人柄を象徴するエピソードとして定着しています。子どもたちに送った「三子教訓状」がそのルーツとも言われています。

周辺の見どころ

清神社

戦国時代、毛利氏の祈願所だった神社。5月5日の例祭は吉田の市入りとして知られ、340年の伝統を持つだんじり子供歌舞伎が奉納される。現在ではJリーグサンフレッチェ広島の必勝祈願所としても有名。

郡山公園・興禅寺跡

この一帯は毛利氏がいた時代の興禅寺跡で、元就が永禄10(1567)年京都から能役者観世太夫宗節ら一座を招き能狂言が催されたことや、この寺の南麓に内堀が掘られた記録が残る。現在は桜や紅葉が美しい公園。

毛利元就墓所・洞春寺跡

元亀2(1571)年、元就は75歳の生涯を閉じた。その後孫の輝元によって菩提寺洞春寺が建立され境内に墓が建てられた。墓標として「ハリイブキ」の木が植えられている。

毛利隆元墓所・常栄寺跡

永禄6(1563)年、元就長男隆元は41歳で佐々部(安芸高田市高宮町)にて急死した。その後父元就や弟の元春、隆景によって菩提寺常栄寺が建てられ、寺には正親町天皇の自筆「常栄広刹禅寺」の額が掲げられました。寺は後に山口に移動した。

毛利一族墓所

元就墓所の下段に、初代時親から8代豊元(元就祖父)までの合墓と、元就の兄興元、興元の長子幸松丸、隆元夫人の墓が並ぶ。吉田の各地に散在していた歴代一門の墓を集め、明治2年この地に改葬したもの。

  • 毛利元就特集
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  • 交通アクセス

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  • kooriyama

    戦国大名毛利氏のあり方を示す上で、貴重な史跡。山全体を城郭化した山城で、本丸跡など数多くの遺構が残っています。平成18年には日本百名城にも選ばれました。

  • 甲立古墳

    全長約77.5m(県は第2位の大きさ)で、多くの埴輪が見つかったことでも注目を集めています。4世紀後半につくられたもので、この時期としては安芸地方最大の前方後円墳です。

  • tazihisarukake

    郡山城の北西4㎞にある山城で、元就が4歳の時父母と一緒に移り、27歳までの青少年時代を過ごしました。元就の長男隆元もここで生まれています。

  • 五龍城跡【遠景】

    元就の娘が宍戸隆家に嫁ぎ、毛利氏と姻戚関係になった宍戸氏の本拠城です。尾崎丸にある宍戸司箭神社は貫心流剣法、司箭流薙刀の祖・宍戸家俊を祀っています。

  • DSC00393

    毛利氏家臣福原氏の居城跡で、別名福原城とも呼ばれています。福原広俊の娘を母にもつ元就はこの地で生まれたという説があり、毛利元就誕生の碑が建てられています。

  • 毛利隆元逝去の地0

    元就の長男、隆元は出雲遠征の途上、この地で謎の死を遂げました。後世、地元住民が石碑を建て、隆元の墓として香華を手向けています。

  • 松尾城跡

    安芸高田市北部から島根県石見地方にまたがる広大な領域を支配した高橋氏の居城。1530年(享禄3)毛利氏と和智氏が攻め落とし、その後高橋氏は滅亡しました。

  • DSC00206

    永禄9年(1566)年、尼子氏は月山富田城を開城して毛利氏に降伏しました。尼子義久、倫久、秀久三兄弟は、長田の円明寺に幽閉されて23年間もこの地で過ごしたと伝えられています。

  • 尼子久幸の墓

    1540年(天文9)9月に始まった郡山合戦は、翌年1月13日最後の一大決戦を迎え尼子軍は総崩れとなって敗走、当主尼子詮久の大叔父尼子久幸は討ち死にし、山中に葬られました。

  • DSCN9834

    1540年(天文9)9月26日、尼子軍と毛利軍との合戦があり、毛利軍が勝利しました。尼子方の湯原弥二朗が自刃したという“腹切岩”があり、石碑が建っています。

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