安芸高田といえば、神楽。
今なお22の神楽団が舞う神楽の聖地。
古から伝わる伝統の舞はもちろん、華麗で色鮮やかな演出と圧倒的な演劇性、そして見る者を魅了するスピードで人気の“新舞”といえば安芸高田神楽。
ひろしま安芸高田神楽は、劇化の進展のなかにも、神人和楽という神楽の原形が息づいています。
神楽(かぐら)は太鼓や笛などのお囃子と一緒に、華やかな衣装や表情豊かな神楽面をつけた人たちが、ある物語を題材にして舞うものです。
安芸高田市の神楽の特徴は、演劇性が強いという点で、極めて大衆的でのびのびした民俗芸能に発展しました。大衆化により、人々の神社・神に対する信仰心を繋ぎ止め、自然や神の脅威・恩恵に対する先人の心を今に止める大きな役割を果たしているといえます。安芸高田市の神楽には、劇化のなかにも、神人和楽という神楽の原形が息づいているのです。
神楽について詳しく知る神楽は、神社などで行われる神事としての奉納神楽と、入場料などを払って観るホール神楽があります。ホール神楽では、司会者があらすじを紹介したり、事前にあらすじの書かれた紙が配布されることが多く、セリフやストーリーを理解しやすいのが特徴。
神楽門前湯治村の夜神楽では、衣装の試着体験や団員さんとの記念撮影もできて神楽がぐっと身近になります。
神楽ほど観客の緩い芸能はありません。実に気軽に見てください。
お酒を飲みながら観る
布団に入って観る
寝転んで観る(そのまま寝る)
客席で何か食べる
一度家に帰る
無造作に掛け声をかける
セキ・くしゃみ
これら、ぜーんぶ「おとがめなし」です!
秋から春にかけての寒いシーズンでは、毛布やひざ掛けなど持参して屋台のお酒でのんびり楽しみながら観る人もたくさん。家族連れで来ても全然大丈夫なのです。
安芸高田市にある「神楽門前湯治村」には、巨大な神楽専用ドーム施設「神楽ドーム」のほか、芝居小屋のような「かむくら座」の2つの施設があります。
さらに、予約すれば神楽観劇の特別弁当を食べられたり、たくさんの屋台を楽しみながら神楽を楽しみつくせます。
実際の神楽団による上演のほか、映像上映などもあり、訪れる前はぜひスケジュールなどをチェックしてくださいね!
ひろしま安芸高田神楽には、戦前に舞われていた「旧舞」と戦後に登場した「新舞」と呼ばれる2種類があります。
安芸高田市は、その「新舞」発祥の地とされていて、衣装や面の早変わり、素早いアクション、ドライアイスや蜘蛛を使ったド派手な演出で、魅了します。
古事記や日本書紀がベースの旧舞は、ゆっくりとした動きで高い技術力も必要で、安芸高田ならいずれの舞も楽しめます。
主に、次の登場人物たちが、楽人のお囃子の音色にあわせて舞います。
舞で最も難しいのは「鬼」。動きだけで体を大きく見せたり、ド派手なターンを繰り返したり、高い技術力が必要とされる役どころなんです。
もちろん「神」がしっかりしていないと鬼が映えないため、「神」も大事な役柄であることは言うまでもありません。
神
観客からの拍手喝采の中、戦いに勝った喜びを舞う『嬉し舞』が見せ所。
男鬼・女鬼
男の鬼はずっと鬼のまま。でも、女の鬼は美しい女性に化けて隠れてます!
姫
物語に咲く一輪の花…。いわゆるキレイドコロです。
狐・蛇
最大で8体もの大蛇が登場。悪さをする九つの尾を持った狐も。
現在、安芸高田市内22の神楽団が神楽を舞い、舞人たちはその技を磨いています。
吉田神楽団は、毛利元就でおなじみの吉田町での神楽団であり、結成以来41年となる歴史の新しい神楽団です。和気藹々とした中にも、常に神楽の本質を求め、日々練習に励み、活気あふれる神楽団になっています。また、郡山子ども神楽団の育成にも力を入れ、郷土芸能・神楽の伝承と、更なる発展に力を注いでいます。
平成7年有志により結成。舞は石見阿須那系神楽が時代とともに変化しながら、新たな「高田神楽」となり、これを継承する神楽団に学び、郷土芸能の継承として活動しています。子ども神楽団の育成とともに、神楽大会、各種イベント、奉納神楽、老人ホームの慰問等を行っています。
土師で舞われていた神楽は、石見八調子系の阿須那派神楽と言われています。土師の舞で独特と思われるものは、岩戸舞の最後の二人舞で注連縄の舞が行われ、舞終えてその注連縄を岩戸の入口に掛けます。天照大神に再び入られぬように閉める故事にならったものです。この土師神楽を伝承していくために昭和58年8月、八千代芸能保存会神楽部(八千代神楽団)として伝承されることになりました。
横田神楽団の歴史は古く、江戸時代の終わり頃には神楽を奉納していました。明治〜昭和のなかばまでは、盛んに活動していましたが、昭和37〜38年頃、団員不足から一時期中断していました。しかし、昭和39年に再結成されてからは、再び盛んになり現在は町内でも有数の神楽団として、活発な活動を続けています。
中北神楽団の神楽は、かなり古くから行なわれていたようですが、以前は地域の祭りの際に、日吉神楽団の前身である山田組舞子連と一緒になって地元有志が神楽の奉納をしていたようです。一時期戦争によって中断していましたが昭和54年には「西尾山八幡神楽」として広島県無形民俗文化財に指定されるなど、活発な活動を続けています。
上河内神楽団は、峠尻八幡神社の氏子を中心として、明治期から奉納活動を始めていました。その後、昭和初期になって「上河内神楽団」に改称し、現在に至っています。氏神社例祭での奉納神楽はもとより、各種大会やイベントなど各地にお招きを頂き、出演しています。これからも伝統的な舞を大切にしつつ、挑戦し続ける事に、団員一同、精進してまいります。神楽団には、子供部・女性部があり、地元の祭りで奉納させて頂いています。
黒瀧神楽団は歴史を刻んだ神楽団で、今から180年前(天保3年)の化粧幕があることから、江戸時代以前から神楽の奉納が行われていたことが解ります。「奏楽の黒瀧」として名を馳せ、黒瀧の瀧の字から命名された「瀧夜叉姫」は黒瀧神楽団が最初に上演した演目です。この「瀧夜叉姫」や「山姥」で各地の競演大会で優勝し、今も多くの優勝旗が大切に保存されています。総戸数26戸で黒瀧神社を護社し、現在は団員も少なく、古い衣装と、台本に忠実に演じることをモットーとし、伝統を今に引き継いでいます。
桑田天使神楽団のある桑田の集落では、江戸時代後半には神楽が奉納されていたという記録が残されており、かなり古くから神楽が行われていました。舞や奏楽のなかにも、石見六調子神楽の古い形を残しており、昭和29年には、「神降し」がいち早く広島県無形民俗文化財として指定を受けるなど、歴史のある神楽団です。
美土里町、北地域の天神社 天満宮は、凡そ五百年前に京都の北野天満宮の分社として開かれました。神楽団の結成はもっと後になりますが、古くから神社では神楽の奉納がされてきました。天神神楽団は、明治〜昭和の初め頃に最も盛んに活動しており、一時期戦争によって中断していましたが昭和48年に復活し、昭和54年には「西尾山八幡神楽」として広島県無形民俗文化財の指定を受けるなど、歴史のある神楽団です。
青神楽団は、伝統的な石見六調子の神楽を舞い続け、今に残している神楽団です。神楽団の歴史は古く、始まりは明らかではありませんが、明治30年頃には活動していたようです。石見六調子の「神迎え」は、いちはやく昭和29年4月に広島県無形民俗文化財として指定を受けました。多くの神楽団が新作高田舞、新舞に移行するなか、この伝統的な旧舞を守り伝えています。
錦城神楽団の歴史は古く、江戸時代中期頃には川角山八幡神社に神楽を奉納していました。昭和10年には明治神宮及び靖国神社に神楽奉納している伝統ある神楽団です。江戸時代に伝えられた石見六調子の旧舞を継承するとともに、現在では八調子の新舞も演目にとり入れています。昭和54年には、「川角山八幡神楽」として広島県無形民俗文化財の指定を受けました。
美穂神楽団は、大正5年智教寺集落の若者が、犬伏舞子連として活動を始めました。昭和16年頃、他の団体と合同して智教寺神楽団となり活動を続けてきましたが、戦後人数不足のため一時的に中断。その後、昭和38年に隣接の島根県瑞穂町と合流、美土里町の「美」と瑞穂町の「穂」をとって美穂神楽団として発足し、現在まで活動を続けています。
塩瀬神楽団の歴史は古く、塩瀬八幡神社に神楽を奉納するために、氏子の有志が集まり活動が始められました。毎年、塩瀬八幡神社秋季例祭で、神祇舞をはじめとした神楽を奉納しています。現在は、県内各地域での奉納神楽、福祉施設などへの訪問、子供神楽団への指導、後継者の育成に努めています。
神幸神楽団は、明治〜昭和の初め頃は、津間八幡神楽舞子連として、活動していました。その後神幸神楽団となって、昭和24年〜27年には、各地の競演大会で20回余りの優勝をかざるなど、現在の美土里神楽の名を知らしめる基礎となりました。昭和54年には、「津間八幡神楽」として広島県無形民俗文化財の指定を受けるなど、活発な活動を続けています。
広森神楽団は、明治の初め頃から盛んに活動していたようです。その後、団員不足などにより活動は幾度が中断されましたが、地域住民の「神楽の伝承を」との思いから昭和56年再結団されました。現在では、地域外の神楽好きな若者たちも加わり、活発な活動をしています。毎年10月の広森神社、山中神社例祭での奉納神楽をはじめ、各地でのお祭りやイベント、競演大会などで多くの方に神楽を楽しんでいただいております。
日吉神楽団は、明治〜大正の頃は中北地域の人達と一緒になって、山田組舞子連(やまだぐみまいこれん)として活動していました。昭和に入り、現在の日吉神楽団として戦争中も途絶える事無く活動してきました。昭和54年には、「西尾山八幡神楽」として広島県無形民俗文化財の指定を受けるなど、活発な活動を続けています。
創立年月は定かではありません。石見神楽阿須那系の神楽が高宮の地に伝わり、時代の移り変わりと共に伝承され、勇壮で変化に富んだ高宮神楽が形成されました。原田神楽団もこの流れの中、最初は地元の有志達が神楽組を結成し、引き継ぎながら世代交代をし、現在に至っており、先人が残した神楽を正しく舞い継ぎ、語り継ぐことを使命として、活動しています。昭和54年には、広島県無形民俗文化財の指定を受けました。
明治初期、邑智郡上田村の宮司 三上真奈井から伝授されました。明治6年同好者により神楽組設立。現在高宮町佐々部神楽団のみに石見神楽の阿須那振に属する佐々部神楽として伝承され、毎年9月22日佐々部八幡に奉納しています。昭和54年広島県無形民俗文化財の指定を受けました。地元はもとより依頼を受けて各地で出演しています
梶矢神楽団は、江戸時代中期に石見の国 阿須那と上田村(現在の島根県邑智郡邑南町)の神職から梶矢の住民数人が神職神楽を習い、地元で氏子神楽を舞うようになりました。古典的な演目を守り続けていることから、昭和29年に演目「鍾馗」で広島県無形民俗文化財の指定を受けました。梶矢は安芸高田市の神楽文化の元祖として、古典演目の伝承を重視し活動を続けています。
羽佐竹神楽団は、江戸期より先人・先輩によって舞い継がれ、昭和47年地域全戸(約130戸)を会員として羽佐竹神楽後援会を創立し、昭和54年広島県無形民俗文化財の指定を受けました。平成3年には羽佐竹子ども神楽団を結成。子ども達に地域文化の学習と神楽後継者の育成に努めています。
山根神楽団は小さな川を挟んで広島県と島根県との間にある、古来より伝承されてきた神楽団です。寛政二年阿須那神職拾四代斉藤一正(大江孝徹)御代(後に出雲守と改名)に山根集落の4名が習いに行き、持ち帰ったのが山根神楽の元です。なかでも剣舞は昭和29年4月に広島県無形民俗文化財として指定を受け、伝統を守り続けています。
来女木神楽は、江戸末期、伊賀和志(いかわし)の三上薩摩守武雄神官から伝授された9名の団員により、現神楽団の前身である日吉八幡神楽団が結成され、今日まで伝承されています。昭和57年3月6日広島県無形民俗文化財として団が指定されました。先人からつたえられてきた神楽を継承するよう努めています。