郡山城跡ガイド体験レポート

今回ガイドをしてくださった中溝さん

広島県の戦国武将といえば「毛利元就」とイメージできるのですが、はたして毛利元就とはどんな人だったのか。毛利元就が暮らした郡山城とはいったいどんなところだったのか…。元就についてもっとたくさん知りたくなってきたぞ!
――ということで、今回は郡山城跡ガイド協会が主催する「郡山城跡ガイド」に参加しました。

ガイドさんは、安芸高田市、元就が大好きな方々です。地元ならではの話が聞けるかもしれません。

そして、今回のガイドさんは、同ガイド協会の会員さんの中溝さんです。

メンバーはガイドの中溝さんに加え、安芸高田市在住のSさんと、広島市在住のYさん。参加したコースは毛利元就一族の墓、百万一心碑、本丸を辿る道です。
ちなみに、本丸までの道のりは一部舗装されていない山道となっているのでご注意を!

それでは出発です。

(毛利元就墓所の入り口で駐車場にもなっている「薬研堀」には、ツアーのマップや史跡を紹介するミニガイドブックが置いてあるので、それを見ながら散策することができます)

墓所へ続く鳥居

中溝さん「それではこの鳥居をくぐって元就が眠る墓所へ向かいましょう。」

この鳥居、何か意味があるんですか?

中溝さん「元々はなかったんですが、右側の柱に、“明和7年、毛利元就200回忌のときに鳥居が建立された”と彫られていますね。」

見るものすべてに歴史がありそうで、開始早々あれもこれも質問してしまいます。
それでもすぐにガイドさんから丁寧な答えが返ってくるので面白い!

毛利家一族の墓

毛利家一族の墓

鳥居を抜けてすぐ右にあるのは、一族のお墓。墓石が正面左から興元(元就兄)、幸松丸(興元の子)、隆元の妻(元就長男の妻)、歴代郡山城主の合墓となっています。

中溝さん「参道は、夏になると深い緑の苔が広がり、とっても幻想的です。山風も吹いて、とても涼しく気持ちの良い空間になるんですよ。」

お墓に来ているのに空気が凛としていて、清らかな雰囲気の場所です。

毛利元就の墓

一族の墓から一段道を上がると、観光客から人気の「毛利元就の墓所」が見えてきました。

中溝さん「この家紋は“一文字三ツ星”と呼ばれています。諸説はありますが、将軍星として崇められていた、オリオン座のくびれの所にある、“3つの星”を型どった説や、祖である一品親王の文字を図案化したとする説などが有名です。」

中溝さん「灯篭についているのは、天皇家の紋章“菊の御紋”です。
当時貧窮していて、即位の礼を挙げることが出来なかった正親町天皇(おおぎまちてんのう)の資金を用立てて貢献した証です。」

中溝さん「元就の墓の特徴として面白いのは、墓標の代わりに木を植え入れた事です。
(写真右の白い木)

この木は“ハリイブキ”といって原産地は中国。日本に現存するハリイブキの木はわずかと言われています。中国から取り寄せる権力と財力があったことがわかります。
幕末にこの地を訪れた歴史学者、頼山陽が『未だ死せんとして枯れず』という詩を残しており、少なくともこの時期にはまだハリイブキの木は生きていた!ということになるんですよね。
また、墓内には浅野藩主や土生玄碩(はぶげんせき)より寄贈された灯籠があるということも元就の墓の特徴として面白いと思います。」

説明してもらわなかったら通り過ぎてしまってました。

門に掘られた家紋や、石灯籠の家紋など、小さなものにもひとつひとつに当時のエピソードが隠されています。

百万一心碑

百万一心碑

毛利元就の墓と遠く向かい合うようにあるのが、毛利元就を知る人なら、知っている人も多い「百万一心碑」です。

中溝さん「郡山城本丸のすぐ下にある“姫の丸”を建設する際に難航したため、人柱を立てようとしたのを元就がやめさせ、この碑を埋めたと言い伝えられているものです。

その時に、『日を同じくして、力同じして、心を同じくすれば、何事も成しえる。』その精神で、この工事にあたれと説いたそうです。」

人命を大切にするって元就さんの人柄がうかがえますね…元就さんって、やっぱりすごい人なんだ。

本丸へ続く道

ここからが本丸へ続く道です。
ゆっくり歩けば30分くらいでつきますが、舗装されていない山道が続きます。ライトな登山をするような感覚で服装や靴を準備していた方がいいですよ!

中溝さん「道には木の根が盛り上がっているところもあってちょっと歩きにくい箇所があります」

途中の休憩をはさみながらガイドさんのお話を聞く。

「息子の隆元からは、山麓部から嶝(かさ)まで登るのは大変なので途中に居所を作ってもよいかと伺いを立てたり、家臣たちが毎日登るのはきついとぼやいていることが書いてある書物があるそうです。」

ほんとにこの道はきつい~、山麓から登ってくる家臣たちが嘆くのもわかるわ

山道を抜けると目の前に開けた空間が広がります。そこに妙に大きな岩があちらこちらに散乱しています。

中溝さん「転がっている石は、一国一城令の際に崩された石垣がそのまま残っています。」

さらに進んでいくと今回のお目当てであります本丸跡が見えてきます。

本丸

中溝さん「こちらが本丸と物見櫓があったと伝わっている場所です。元就は育ての母である杉の大方からすすめられた念仏信仰を守り、ここで毎朝10回、念仏を唱えていたかもしれませんね!」

ガイドツアーでは明るい時間帯にここまで来るので大丈夫ですが、ここは日が落ちると真っ暗になります。本丸までは時間もかかるので、時間に余裕をもって見に来たほうが良いですね。

当時の建物は、今は無く遺構が残るのみですが、ガイドの話を聞いていると目の前に見えないはずのお城や、元就が念仏を唱えている姿が見える気がする!

本丸まで登る道にあると便利なグッズ

山歩きに便利な登山用の杖も無料で使えます。
本丸まで登るときにはぜひ利用したいです。

設置場所は、安芸高田市歴史民俗博物館の近くにありました。

清神社にも立ち寄ってみました

毛利一族の必勝祈願で有名な、清神社(すがじんじゃ)も訪れました。
通常の本丸コースでは下山した後、「山麓コース」を回ります。そのコースの中に清神社があります。

鳥居をくぐった瞬間に強烈なエネルギーに包まれるような感覚になります!

中溝さん「そのエネルギーの正体はこれかな?この杉の巨木は、なんと樹齢1000年余りを数えます。(樹木医が倒れた木から年輪を推測したとのこと)」

大人二人でも抱えきれないほどの大きさ!

中溝さん「元就が生まれたのは1497年なので、その頃には既に樹齢400年を過ぎた巨木だったといえますね。」

このしめ縄はどこかでみたことがあるけど…?

中溝さん「鳥居の大きなしめ縄は、出雲大社のしめ縄をつくっている島根県飯南町のしめ縄館でつくられています。」

中溝さん「神社の裏に行ってみましょう。元就も飲んだとされるご神水があるんですよ。」

あれ?この神社の必勝祈願って「勝」が「祥」になっているんですね。

中溝さん「必勝祈願の神社は多くありますが、清神社では「幸せになりますように」と願いをこめて「必祥」という字をつかっています。」

必勝祈願もできたし、巨木からエネルギーもたくさんもらって、清神社に来たらなんだか明日からも頑張るぞ!って気合が入りました。
中溝さんここまでのガイドありがとうございました。