毛利元就特集

戦国武将 毛利元就の足跡を歩く

毛利元就の足跡

安芸国の一領主にすぎなかった元就は、次々と領地を広げ、中国地方を制する戦国大名にのしあがっていく。その元就の本拠地であった郡山城をはじめ、市内各所に毛利氏ゆかりの史跡が残っており、戦国時代の足跡をたどることができる。

毛利元就は1497年(明応6)3月14日、毛利弘元の次男として誕生した。4歳の年、多治比の猿掛城に移るが、家督を継いでいた兄興元の長男・幸松丸が相次いで病死したため、1523年(大永3)8月10日、27歳になっていた元就が郡山城に入り、家督を継ぐことになった。この年には長男・隆元が誕生している。

毛利氏の飛躍のきっかけとなった合戦が1540年(天文9)の“郡山合戦”だ。山陰に勢力をもつ月山富田城(島根県安来市広瀬町)の尼子氏が大軍勢を率いて郡山城の北4kmの風越山に本陣を置き、4月に及ぶ合戦が始まった。

翌年1月13日、元就は宮崎・長尾で戦い、大内軍が尼子の本陣を攻め、尼子久幸は討死、当主尼子詮久はかろうじて富田城に敗走した。1553年(天文22)には三次の旗返山城など備後地方の諸城を攻め、1555年(弘治元)10月、厳島合戦で陶氏、続いて山口で大内義長を滅ぼす。1562年(永禄9)ついに尼子義久らは降伏、元就は西日本最大の戦国大名となった。

中国地方平定の5年後、1571年(元亀2)6月14日、元就は郡山城において病のため75年の波乱の生涯を終えた。この時、信長37歳、秀吉35歳、家康29歳である。毛利家は孫の輝元が継いだが、1591年(天正19)広島に築城、本拠を広島に移したのである。

周辺の見どころ
毛利元就の歴史を堪能できるさん散策コースをご案内。

安芸高田市歴史民俗博物館 吉田町吉田

毛利氏と郡山城跡を中心に市の歴史と文化財を紹介する博物館。特に郡山城からの出土遺物、毛利氏や家臣による社寺への奉納品などが充実。毛利氏歴代当主の名が記される清神社棟札や毛利輝元の関が原合戦の勝利を祈願した絵馬は必見です。他にも史跡や文化財、さらには郷土芸能なども映像で紹介しています。

ご利用案内

開館時間
午前9時~午後5時
休館日
月曜日(祝休日の場合は開館)
祝休日の翌日(土日の場合は開館)
12月29日~1月3日
入館料
(20名以上団体)
大人300円(200円)
小・中学生150円(100円)
駐車場
普通車15台 バス3台(無料)
アクセス
【バス】
広島バスセンター(又はJR可部駅)から吉田行き、 安芸高田市役所前下車、徒歩5分
【JR】
芸備線向原駅からタクシー15分
【自動車】
中国自動車道高田インターから15分
所在地
〒731-0501 
広島県安芸高田市吉田町吉田278番地の1
お問い合わせ
電話 0826-42-0070
FAX 0826-42-0070
URL http://www.akitakata.jp/hakubutsukan/

郡山城跡 吉田町吉田

戦国大名毛利氏のあり方を示す上で、貴重な史跡。山全体を城郭化した山城で、本丸跡など数多くの遺構が残っています。平成18年には日本百名城にも選ばれました。

多治比猿掛城跡 吉田町多治比

元就が4才の時父母と一緒に移り、27才までの青少年時代を過ごしました。元就の長男隆元もここで生まれています。山麓には弘元墓所もあります。

五龍城跡 甲田町上甲立

元就の娘が宍戸隆家に嫁ぎ、毛利氏と姻戚関係になった宍戸氏の本拠城です。尾崎丸にある宍戸司箭神社は貫心流剣法、司箭流薙刀の祖・宍戸家俊を祀っています。

鈴尾城跡 吉田町福原

毛利氏重臣福原氏の居城跡で、別名福原城とも呼ばれています。福原広俊の娘を母にもつ元就はこの地で生まれたという伝説があり、毛利元就誕生の碑が建てられています。

毛利隆元逝去の地 高宮町佐々部

元就の長男、隆元は出雲遠征の途上、この地で謎の死を遂げました。後世、地元住民が石碑を建て、隆元の墓として香華を手向けています。

松尾城跡 美土里町横田

安芸高田市北部から島根県石見地方にまたがる広大な領域を支配した高橋氏の居城。1530年(享禄3)毛利氏と和智氏が攻め落とし、その後高橋氏は滅亡しました。

尼子三兄弟ゆかりの墓  向原町長田

毛利氏に敗れた尼子義久・倫久・秀久の三兄弟がこの地に幽閉されました。この墓は三兄弟に随従してきた重臣の墓といわれています。

尼子久幸の墓 吉田町西浦

1540年(天文9)の郡山合戦は、翌年1月13日最後の一大決戦を迎え尼子軍は総崩れとなって敗走、当主尼子詮久の大叔父尼子久幸は討ち死にし、山中に葬られました。

宮崎神社 吉田町吉田

毛利氏の氏神として歴代の当主に崇拝されていました。玉殿、絵馬を始め毛利氏時代の文化財が多く残る。霊石「鐙石」は「川通り餅」のルーツとして伝わっています。

池の内古戦場・湯原弥二郎腹切岩 甲田町上小原

1540年(天文9)9月26日、尼子軍と毛利軍との合戦があり、毛利軍が勝利しました。尼子方の湯原弥二朗が自刃したという“腹切岩”があり、石碑が建っています。

毛利元就墓所バーチャル

人気のパワースポット毛利元就の墓所を迫力のバーチャルで体験していただけます。
PC、タブレット、スマートフォン対応!

バーチャルを体験する

サンフレッチェ広島チーム名の由来

1本の矢は折れやすいが、3本たばねると折れにくいと
いう毛利元就の故事“三矢の訓”ちなんで、サンは数字の3
フレッチェは矢を意味するイタリア語からチーム名がつけられた。市内の吉田サッカー公園はサンフレッチェ広島の練習場となっているほか、毎年、元就ゆかりの清神社で
必勝祈願祭を行っている。
Top


一般社団法人 安芸高田市観光協会
広島県安芸高田市向原町坂37-4 向原駅ビル ラポート1F
TEL 0826-46-7055 FAX 0826-46-3015
Copyright © 一般社団法人 安芸高田市観光協会 All Rights Reserved.